日記

2020.01.14

世の中の女性全員が美人になってしまったら美人の価値が低下するのか?

「BeautyとCreativeで世の中を美しくしよう」
というのが当社のコンセプトです。

自由が丘に当社グループのサロンも運営しており、美しくなりたいという人に対し、男女を問わず、情報、サービスの両面でアプローチを行っています。

サロンの詳細はこちら

では当社の理念が実現され、世の中の人々全てが若々しく美しいという状況になった時に「美しさ」の価値は低下してしまうのか?という疑問です。

例えば人間以外の生き物だとどうでしょうか?

猫。
大体どんな猫でもかわいいですし、可愛い猫のパーセンテージなんて関係なさそうです。

犬。
大体どんな犬もかわいいです。

動物たちの例から考察すると、
美しさとは相対的な希少性ではなく、絶対的な感覚として存在するようです。

では人間においては、100人中1:1で男女が存在するグループ内において、50人中50人が美女または美男であるグループに対して50人中1人が美女または美男であるであるグループにおける美の価値はインフレするのでしょうか?

現在の美の割合に対する価値観

日本の全人口に対する、美女、美男の割合は神のいたずらにより1/100程度ではないでしょうか。
しかし、100人に1人の美しさを持つ希少性に人は魅了されているのか?
と言われればそれは違います。

人が美しいと思う感覚は、誰かと比較した上でのギャップにより生じるものではなく、
比較対象がなくても美しいものは美しい」というのが私の仮説です。

異性にモテるという価値は相対的なので、集団生活の中でパートナーを見つける場面においてはその仮説は適用されませんが、人の持つ美しさそのものの価値は誰かと比較するもとではないと私は思います。

美しさという感覚は誰かと比較して勝った、負けたという基準ではなく、
バランス・黄金比などに代表されるように物質そのものが持つ特性のようなものだと考えられます。

よって100人中100人が美男美女であろうと美しさの価値は低下しません。

(完全に独自の認識ですがご容赦ください)

努力すれば美しくなれる?

では、生まれ持った自分の美しさの絶対値は努力により向上することはできないのか?
その神への挑戦が我々のコンセプトです。

生まれ持った美しさもいいですが、努力して手に入れた美しさの方が素敵で価値があります。
体調や気分、コンディションにより、人々の美しさは常に変化しています。
できることならより良い方向に変化させ続けたいものですよね。

100人中100人が美しい世の中を実現させて、仮説を検証できるよう邁進します。

100年の人生における美しく、若々しい期間をできるだけ長く楽しむ。
Beauty、Creative以外にもそれを達成する要因はたくさんあると思います。

当社もいろいろな分野でお役に立てたら嬉しいですね。