日記

2020.01.20

「選挙に行かない」と「糖質カットで米を食べない」

選挙に行かない若者という社会問題

選挙に行かない若者に「若者よ、選挙に行くな!」という広告が前回の選挙で話題になりましたね。

これはよくある「○○以外の人は見ないでください」という本の帯のような、何々するなと言われるとつい気になってしまう人間の心理をついた良いプロモーション手段ですね。

 

まぁそれは置いておいて、そもそも

選挙に行かない

という点はどうなんでしょうか。

何が問題なのでしょうか?

 

選挙は最近できた制度

人類は長く君主制が続いた歴史があり、
国のリーダーを国民が選出するという制度は
過去の人にとっては夢のような制度でした。
王様がどんなに人間的に世間からずれていても、
違う人に政治を行って欲しいという主張は通らないばかりか、
君主を貶めたという罪で処刑されかねません。

 

坂本龍馬も民主政治の実現のために命を賭して奔走しました。

 

しかし、人類が長年待ち焦がれた夢も、実現した結果、人々は
数多くの人が関心を失ってしまうという哀しい現象が起きています。
過去の偉人たちは何のために生涯をかけて民主政治の実現の
ために尽くしてきたのでしょうか。

 

まぁそれは私程度の人間が現在訴えたところで解決できるわけではないのでここで話しても仕方ありません。
「選挙に行くな」の逆プロモーションに期待しましょう。

 

若者よ絶対に選挙に行くなよ!絶対だぞ!

 

選挙と糖質カットの関連性

同じような現象として
「糖質カットで米(炭水化物)を食べない」
という健康法やダイエット法が現在あまりにも有名です。

 

人類は誕生した時から食の安定性の確保という命題と常に闘ってきました。
弥生時代についに稲作という技法を生み出し、一つの地区に定住するという文化が生まれます。

 

しかし、田んぼがあるからといって常に米が安定的に収穫できるわけではありませんでした。
現代のように農業技術が発展していなかったため、天候不順で飢饉などが度々発生し、
そのたびに大量の餓死者や農民一揆などが発生していました。

 

そして農業技術の発達と諸外国との貿易の活性化により、安定した量の食が確保できると
「米の食べ過ぎは健康によくない」という論説が横行するようになりました。

 

この理論も卑弥呼が聞いたらびっくりするでしょう。

 

今の食の安定は当たり前じゃない

我々も子どもの頃に、

ヤクルトとかオロナミンCってなんでこんなに小さいんだろう。
大人になったらジョッキで飲んでやる!

という夢を持っていた人は少なくないのではないでしょうか。

 

しかし、大人になり経済的に余裕ができても、ヤクルトをジョッキで飲んでいる人は見たことがありません。
結局人々は願望が満たされるとありがたみを忘れてしまい、「無くなったら不便」という思考ができなくなります。

 

少し前に不祥事を起こした芸人さんに対して相方の方が言っていましたね。

「当たり前じゃねーからな!」

 

いい言葉ですね。
今ある当たり前は先人たちが千年以上の歴史をかけて作ってきた土台の上に成り立っています。

 

我が社も「幸せな世の中を実現する」のではなく「幸せが当たり前過ぎて誰も気が付かない世の中を実現する」
という気概で頑張っていきます。

 

選挙に行かない、米を食べない、ヤクルトは1本で十分

いいんです。

 

ただ、

それが当たり前ではなかった時代の人の頑張りのおかげで今がある。その人達に胸を張って説明できるの?

って自問してみましょう。

 

先人たちに感謝しながら糖質カットしてプロテインやサラダチキンを摂取しましょう。
そう、全ては美しくあるために。